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PG&E が安全を気にしてるだと?高感度はダウンだぞ。

私が渡米した頃は日本のテレビを見るというと、日本人が経営している小さなビデオレンタル屋さんにいき、日本で録画された(違法だと思う)VHSのカセットを借りてきて観たものだが、今は便利になってネットで動画が無料でみられる。

無料といっても、日本のCMのように途中で動画が止まり、スポンサーの広告が流れるようなサイトのものが多くなってきている。最近みた動画では、カリフォルニアの東電版、PG&Eの広告が何度も何度もかかって、1時間の動画を見終わる頃には、だいぶ「PG&Eウゼー」状態になっていた。 数年前にPG&Eのガスパイプからガスが漏れて、近くの町の住宅がぶっとんだ・・・ということもあってだろう、「PG&Eは皆様の安全を第一に考えています・・。」みたいなイメージアップ作戦コマーシャルを流している。違法で流している動画のスポンサーになり、うざいタイミングで観ている番組を止められて流すコマーシャルが、高感度アップにつながるとは到底思えない。

理科の標本みたいだけど、トビウオ(アゴだし)の出汁です。

理科の標本みたいだけど、トビウオ(アゴだし)の出汁です。

変わった苗字

今日仕事で調査をしていたら、slideshare とよばれるプレゼン資料が閲覧できるサイトで日本の人が書いたプレゼンがあった。で、そのプレゼンを用意した人の名前が凄かったので、シェア。

苗字が、「回り道」。

和歌山に3軒しかない、絶滅しそうな名前らしい。苗字でひらがなが使われているってのもすごい。

でもね・・・ ここで見つけたんだけど、他にも沢山面白い苗字があった。個人的にはペンギンが一番イヤだな。

日本に現在5世帯以下しかない絶滅寸前の「珍しい苗字」20選

こっちが、回り道さんのプレゼン

やっぱりイギリスは進んでいる

Oprah Winfrey Network は確か我が家のケーブルチャンネルには入ってない。。 が、観たいな~この番組。

イギリスの19歳から23歳の知的障害の若者が、仕事や恋愛などを体験していく様子を映したリアリティTVらしい。イギリスは障害者に対するサービスや待遇が進んでいると聞くが、こういうテレビ番組が作成されること自体がそのレベルの高さを物語っているような気がする。

番組のウェブサイト The Specials

disabilitysoop の記事TV Series to Examine Life During Transition

Hero 観た

北川景子って人演技がヘタで、この人の存在でドラマが流れてこない。 可愛いけど、美人=女優ってのは、ソロソロ辞めた方がいい

権利と自由

disabilityscoop で、 ”Court: Mom Acted Wrongly In Arranging Son’s Vasectomy" という記事を読んだ。

Vasectomy というのは、日本語でいうパイプカットのこと。 母親が息子のパイプカットの処置の準備を勝手に進めていたが、当の本人が処置をする医師にそのつもりはないことを伝えたのだそう。

この手のニュースは、読む人によっていろいろと感じ方が違うと思う。

社会的に、また法律的にも、人間の基本的権利は誰にでも認められるべき、というのが正しい答えだとされている。

障害者の子を持つ私もそれはわかるし、そう思う。でも、私の場合、障害者の家族を持つ人の気持ちや事情も、他のひとよりもわかってしまう。

社会の立派な人達は、「基本的権利は誰にでも認められるべきだ」というけれど、では実際に障害がある人が子供を産んだ場合、その子を責任もって育てられるか?という自然に起こりうる次のステップの答えは誰がだしてくれるんだ?その親の障害の度合いにもよるけれど、自分もサポートしてもらわなくてはならない人が、本当に子供を育てられるのか?法律では最低限のサポートはしてくれるけど、それは本当に最低限のもの。生まれてくる子供に最低限のことを望む祖父、祖母がいるであろうか?

社会や他人は簡単に正義をかざしてくるが、社会はまだまだ障害者には厳しいのも事実ではある。と、私は、この母親の行動は、そういうことを物語っているように思える。

私が時々お邪魔するこちらのブログで紹介されていた本「 障害のある子の親である私たち」を読んでいる。
とても読みやすく、興味がある内容なので、一気に読めてしまうような本なのだが、最近はあまりまとまった時間がとれないので、ちょびちょび時間をみつけては読んでいる。
今晩、姫を寝かしつけたあと読んだページに、私が前々から悩んでいたこと、「私はK太郎の全部を受け入れられているのか・・・」ということに対する答えのようなものが書かれていた。

「人は必ず成長する」。その価値観を越えるとき、私達親は初めて、穏やかな気持ちになれるのかもしれません。

ここ数年の私にも、「あきらめる」時期が来ていたのかもしれない。
「あきらめる」という言葉には、ポジティブな感じはあまりないが、 ここでいう「あきらめる」はとても前向きで革新的なものだ。というのは、ここで省略されている主語はとってもネガティブな「自分が囚われていた概念を」というのががはいるから。
「子どもはこうでなくてはいけない。」「普通だったら…」 「幸せになるには…」
そういう概念を「あきらめる」ことは、何ら恥じることでも、悪いことでもない。むしろ、私が親として人間として成長していることであると思う。やっと「あきらめられた」時に、私はやっとK太郎と向き合い、彼とスタート地点に立てるのかもしれない。
この夏休みが終わったら、K太郎が4年間お世話になったリーディングスペシャリストから卒業することになっている。私が悩みに悩んだ末に出した答え。
4年前の夏休み前に、ミドルスクールの先生に、「今年の私の目標は、K太郎が Magic Tree House を自分で読めるようになることだ」と言ったら、先生は無言になり、この親、わかってないな・・・というような顔をした。小学校3年生レベルの本であるが、それくらいその頃のK太郎には読む力も無かったし、そんな可能性さえあるようにも見えなかった。
でも、このリーディングスペシャリストの先生は、私のそんな目標にも笑うこともなく、私と同じくらい真剣に頑張ってくれた。その頑張りと、K太郎の可能性を信じ続ける姿勢で彼の能力を伸ばしてくれた。その年の夏休みはほぼ毎日彼女のところへ行き、毎日読む力をつける努力を重ねた。K太郎の真面目な性格も手伝って、9月に始まった学期では、苦笑いをしていた先生達の顎が落ちていた。それくらい成長していた。
私にはK太郎がそれほど伸びるという確信も無かったし、実際どうなのかなんて考えずに無我夢中に何でも試していただけだった。目を開けずにバットをブンブン振り回していたら、ホームランになっていた・・・・という感じ。ただ、バットは半端無く振っていた・・・という感じだろう。
これまでは。「あきらめる」なんて言葉は私の辞書には無かった。それでは、いけない・・・って思っていた。K太郎を自立に向けてなんとか導いてやらなくては・・と思っていた。彼も私の期待に応えて成長を繰り返し、今では立派な高校生だ。もうお尻ぺんぺんではなく、キリキリするママではなく、彼を、彼のすべてを受け入れ、優しく包みこむような母になりたいと思う。私にはこれはとても困難な道だけれども、K太郎にとって私はそういう母になりたいと思う。

私が時々お邪魔するこちらのブログで紹介されていた本「 障害のある子の親である私たち」を読んでいる。

とても読みやすく、興味がある内容なので、一気に読めてしまうような本なのだが、最近はあまりまとまった時間がとれないので、ちょびちょび時間をみつけては読んでいる。

今晩、姫を寝かしつけたあと読んだページに、私が前々から悩んでいたこと、「私はK太郎の全部を受け入れられているのか・・・」ということに対する答えのようなものが書かれていた。

「人は必ず成長する」。その価値観を越えるとき、私達親は初めて、穏やかな気持ちになれるのかもしれません。

ここ数年の私にも、「あきらめる」時期が来ていたのかもしれない。

「あきらめる」という言葉には、ポジティブな感じはあまりないが、 ここでいう「あきらめる」はとても前向きで革新的なものだ。というのは、ここで省略されている主語はとってもネガティブな「自分が囚われていた概念を」というのががはいるから。

「子どもはこうでなくてはいけない。」
「普通だったら…」
「幸せになるには…」

そういう概念を「あきらめる」ことは、何ら恥じることでも、悪いことでもない。むしろ、私が親として人間として成長していることであると思う。やっと「あきらめられた」時に、私はやっとK太郎と向き合い、彼とスタート地点に立てるのかもしれない。

この夏休みが終わったら、K太郎が4年間お世話になったリーディングスペシャリストから卒業することになっている。私が悩みに悩んだ末に出した答え。

4年前の夏休み前に、ミドルスクールの先生に、「今年の私の目標は、K太郎が Magic Tree House を自分で読めるようになることだ」と言ったら、先生は無言になり、この親、わかってないな・・・というような顔をした。小学校3年生レベルの本であるが、それくらいその頃のK太郎には読む力も無かったし、そんな可能性さえあるようにも見えなかった。

でも、このリーディングスペシャリストの先生は、私のそんな目標にも笑うこともなく、私と同じくらい真剣に頑張ってくれた。その頑張りと、K太郎の可能性を信じ続ける姿勢で彼の能力を伸ばしてくれた。その年の夏休みはほぼ毎日彼女のところへ行き、毎日読む力をつける努力を重ねた。K太郎の真面目な性格も手伝って、9月に始まった学期では、苦笑いをしていた先生達の顎が落ちていた。それくらい成長していた。

私にはK太郎がそれほど伸びるという確信も無かったし、実際どうなのかなんて考えずに無我夢中に何でも試していただけだった。目を開けずにバットをブンブン振り回していたら、ホームランになっていた・・・・という感じ。ただ、バットは半端無く振っていた・・・という感じだろう。

これまでは。「あきらめる」なんて言葉は私の辞書には無かった。それでは、いけない・・・って思っていた。K太郎を自立に向けてなんとか導いてやらなくては・・と思っていた。彼も私の期待に応えて成長を繰り返し、今では立派な高校生だ。もうお尻ぺんぺんではなく、キリキリするママではなく、彼を、彼のすべてを受け入れ、優しく包みこむような母になりたいと思う。私にはこれはとても困難な道だけれども、K太郎にとって私はそういう母になりたいと思う。